新卒が入社半年でブラック企業を辞めた話。

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どうも、chibakyoです。

 

僕は本日2月11日をもちまして、新卒で入った会社を退職しました。

 

在籍期間は7ヶ月少々でした。

ただし最後の1ヶ月は休職していたので、実際に働いていたのはちょうど半年間。

 

直接の原因は「抑うつ神経症」という鬱の親戚のような精神病を患ってしまったことですが、それ以前にも伏線やらはいろいろありました。

 

その怒涛の半年間を振り返ってみます。

 

 

 

①入社して1週間で退職を決意

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まずは入社からの経緯をお話しします。

僕が勤めていたのは業界では大手のリフォーム会社で、配属された姫路市の支店で営業職をしていました。

 

僕が入社したのは7月。

この会社は珍しく自分の希望する月に入社をすることができます。そこで僕はこの制度を使って7月に入社することに決めました。入社までの期間はアルバイトをしたり海外に一人旅に出たりと有意義な時間を過ごしました。

 

話を戻しますが、最初の2日間は本社で研修を受けた後、僕は姫路配属ですがしばらくの間は神戸の支店に通って研修を受けるように言われました。

研修の内容は渡された営業のマニュアルトークの暗記とロールプレイ。

僕の仕事は個人客への飛び込み営業だったので、まずはそのマニュアルを覚えることが鉄則でした。ちなみに支店研修が始まって1人が会社を去っていきました。

 

マニュアルを覚えるのは決して楽ではなかったし飛び込み営業っていうのも世間一般のイメージが良くないので研修中気分が良かったわけではありませんでしたが、新卒社会人の僕はこれくらいのしんどさは普通だと思っていたので、これで辞めようと思っていたわけではありません。

むしろ、とりあえず3年は続けて貯金1000万作ろうという目標も立てていたくらいです。

 

しかしその会社を辞めようと決意したきっかけが、入社して1週間ほど経った時にあった合同会議でした。

その会議とは近隣の支店ごとに営業職の社員全員が集まって毎月行われるもので、先月の営業成績優秀者を表彰したり研修をしたりするのが主な内容。

 

そのひとつに、先月の売り上げが0だった社員を叱責するコーナーがあります。

その社員は「0社員」と呼ばれ、会議当日は真っ赤に0社員と書かれたプラカードを首から下げて会議場の最前列に座ります。

そのコーナーでは0社員は一番前に立たされて大きな声で反省文を読み上げた後、各支店のお偉いさんから怒号、暴言、叱責の嵐を受けるのです。

 

この光景を見ながら僕は思いました。

「この会社やば。パワハラやん」

僕はこのコーナーを「公開処刑」と呼んでいるのですが、まさにその名に相応しい荒れっぷりでした。

後日とある先輩に訊いたところ「これでも落ち着いた方。数年前はもっと酷かった。若い女の子とか号泣してたよ」とのこと。

マシになってこのレベルのパワハラがまかり通っている会社で仕事をすることがアホらしく思えた僕は、帰宅後速攻で転職エージェントに登録しました。

 

決意した、は誇張しすぎ感もありますが、この会社には長くいないだろうなと思ったのは事実です。

 

 

②3ヶ月で先輩が7人いなくなる事態に

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約2週間程度の神戸での研修を終えて、僕は姫路の支店に本配属になりました。

あのパワハラを見て以降長居はしないと決めてはいましたが、いつ辞めようかとか具体的なプランや行動を起こせずに悶々とした日々を送っていました。

とは言え、新卒が入って早々に辞めるのも何だかな〜と思い、とりあえず仕事をちゃんと頑張ってみようとも思ってはいました。

 
ただ幸い同僚や先輩は僕に良くしてくれて、人間関係は良好だったと思います。

仕事はしんどいながらもなんとかやっていこうと思えたのは人間関係が良かったからに尽きます。

 
ところが、最初の3ヶ月で11人中7人の先輩上司が支店から居なくなってしまうという事態に見舞われました。

 
【7月】→ 中旬に1人が飛び、下旬に1人が退職。

【8月】→ 末日をもって2人は退職・1人は異動。

【9月】→ 早々に1人が飛び、下旬に1人が異動。

 
2人の異動は仕方ないとは言え、それでも入社して3ヶ月という短期間に7人も辞めてしまうという現実。

 
他にも別の先輩2人からも9月に「もうじき辞めるわこんなとこ」という話を聞いていたりしたので、9月は特に精神的にキツかったです。

結局2人は諸事情で冬まで会社にいてくれましたが、下手したら入社4ヶ月目で支店の3番手になりかねなかった状況でした。

 
春から社会人になっている大学や秋田の同期の友達はまだ研修を受けたり、先輩上司から社会人のノウハウを色々教わっている時期に俺は何やってるんだろうと思ってきていました。

この人の入れ替わりが激しすぎる環境に身を置いていることに不安を覚えてきてしまったのです。

 

 

③会社の社風も合わなかった

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そして会社の風土や方針も合わないと感じていました。

前述のパワハラもそうですし、他にも挙げたらキリがないのですが、今回は「仕事への価値観」と「非常識な営業時間」の2つの観点から述べたいと思います。

 

会社や仕事への価値観

僕のいた会社では行動指針が40箇条もあるのですが、その中に「仕事は生活の中心」というニュアンスの文言があります。

未だに昭和気質な理念を掲げているのかの内心失笑してしまいました。

もちろん仕事は大事ですが、それと同時にプライベートも充実させたい僕としては価値観がズレていると思ったものです。

 
契約書には労働時間は9時から20時まででそのうち休憩は3時間と書かれているのですが、ろくにそんな休憩時間をくれた試しがありません。

基本給の中にみなし残業代が含まれているとはいえ、それとは別のサービス出社や残業は当たり前。

 
そしてよく「感謝の心を忘れるな。働かせてもらっていて尚且つ高い歩合をくれる環境を整えてくれている会社への感謝はもちろんだが、商品を買ってくれるお客様や邪険に扱ってくるお客様でも自分を営業マンとして成長させてくれているのだから、そこにも感謝の気持ちを持つこと」と言われます。

後者はまあ良いとして、前者は会社が自ら感謝の念を押し付けているような印象で正直引きました。

感謝の気持ちって自発的に出てくるもので相手から押し付けられるものではないからです。

 
確かに会社の歩合は良く、商談も打てるようになると稼げる人は月収100万を超える人もいます。

ただしそれは営業の実力もさることながら朝から晩まで働き詰めでやっと得られるもので、時間当たりで見ると割に合わないなぁと感じました。

 

 

総合的にみて、この会社のやり方や考え方は自分に合っていませんでした。

 

非常識な営業時間

これが僕が一番苦しんだことのひとつ。

会社では夜の8時45分まで営業をしないといけないのですが、普通に考えて非常識なんじゃないかとずっと思っていました。

会社がそうさせる狙いは昼間家を空けていたお宅に行くことで売り上げを伸ばす可能性を高めること。

理屈は理解出来ますが、夜遅くにインターホンを鳴らされて興味もない訪問販売が来たら誰だって迷惑千万。 


僕も夜7時半以降にインターホンを鳴らして「こんな時間に迷惑です」「非常識にもほどがある」とお客さんからよく怒られたものです。

悪気なくやったことで怒られるのなら仕方ありませんが、内心自分がされて嫌なことをして怒られるというのはかなりしんどかったです。

 
また以前受けた研修で、

「夜以降に訪問した家からの売り上げは会社全体の3割を占める。だから夜はアツい!そして自分の歩合も3割増しになるということだ!」

と言われたのですが、夜遅くに他人に迷惑をかけてまで会社に貢献しようとも、自分の給料を稼ぎたいとも思えませんでした。

 

 

 

 

④いかにして辞めるかに苦悩する日々

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9月以降これは本当にヤバいと思い、7月に登録して以降放置していた転職エージェントにコンタクトを取り始めて、本格的な転職活動をすることにしました。

新しい職場が見つかったと言えば比較的辞めるハードルは下がるかな〜と考えたからです。

とりあえず12月を目処に辞めることを目指して色々リサーチを進めていきました。

 
とは言っても9月になると帰りはうんと遅くなり、帰りは10時半前後になることはザラ。

飛び込み営業は一日中歩き回ってクタクタになって帰るので、帰宅後や休日にとても転職活動をする気力を持てずにいました。

 
そこで転職活動を容易に進めるために思いついたのが、大阪の支店への異動申請。

大阪の方が転職先も多いので、姫路にいる時よりもやり易くなるのではないかと考えたのです。

詳しくは言えませんが、ちょうど実家の事情で姫路から大阪に移った方が都合が良かったこともあって11月を目処に申請するも、何かと理由をつけられて却下。


焦った僕は11月に見切り発車で上司にそれなら辞めたいと言いますが、「逃げだ」「恩を忘れたのか」などと散々言われて結局大阪異動は諦めて会社に残ることに。

 
そうして僕の計画は後手後手に回ってしまい、今度は4月入社に照準を当てて2月退社を目標にすることにしましたが、なかなか上手くいきませんでした。

まぁ、新卒で半年も経っていない人間を取りたがる会社を探してもそんなに無かったのもあります。

 

 

⑤ついに発症、休職へ

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辞める決意は固く持っていたものの、仕事は一応それなりにやっていました。

しかし昨年の12月末、とうとう抑うつ神経症を患ってしまいます。

詳しくは下記の記事に詳細が書かれていますが、ざっくり言うと前々から溜めていたストレスに加えて12月は営業成績で極度の不振に陥り、抑うつ状態になってしまったのです。

 

www.chibakyo.work

 

これでは転職はおろか仕事どころではなくなってしまい、会社を一旦休職しました。


幸い症状は深刻化していなかったこともあり、比較的回復にはそんなに時間をかけなくて済みました。

ただ、約1ヶ月半の間は通院と薬物療法、自宅療養をしていました。

 
一応会社の休職辞令には4月までと書いていましたが、もちろんそこまで休む気は無いし、もう戻る気すら無いので、このタイミングで辞めることにしました。

もっと早く辞めても良かったのですが、通院が終わるまでは健康保険証を持っておきたいということと、有給消化の関係で2月11日にずれ込むことになりました。

 

まずは上司に辞める旨を伝え、その後本社の人事部にも連絡を入れました。

当初上司に何言われるんだろうと戦々恐々としていたのですが、「わかった」とすんなり受け入れてくれて拍子抜けしました。

 

 

⑥今後はどうするのか

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休職している間に、改めて自分の今後の進路を考え直すことにしました。

本当に転職でいいのか?

他にやりたいことはないのか? 


熟考に熟考を重ねた結果、海外に行きたいと強く思っていた自分に気づくことができました。

大学は国際系の学科にいたことや、入社前の海外一人旅を通して海外志向は持っていたので、どうせならそっちのフィールドに行ってやろうと思ったのです。

 
そこで考えたのは、青年海外協力隊とワーキングホリデーのふたつ。

まずは今月から始まる協力隊の募集に応募し、選考の結果次第でワーキングホリデーにも行けるように準備しようと考えています。

 
それが決まるまでの間は大阪でフリーターとブログで食いつなぐ予定です。

、と言うとちょっと聞こえが悪いので訂正すると、フリーランスとして生きていきます。

 

社会人になって初っ端から波乱万丈になってしまいましたが、せっかくの20代で身軽なうちに経験できることを経験しておきたいと思いました。

 
結果的に自分が新卒で入った会社をこんな形で辞めることになったので就活自体は大失敗でしたが、自分のやりたいことに挑戦できる機会ができたと考えればそれも悪く無いのかな、と思ったりもしました。

 

 

まとめ:このパターンはあまり参考にならないかもしれないけど

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僕はブラック企業で病んでしまったことを契機に会社を辞めたので、一般的な退職→転職を考えている人にはあまり参考になってないかもしれません。

僕のいた会社は退職希望者に対して引き留めをするマニュアルまであるらしいのですが、結局それに打ち勝てずに辞めてしまったので。

 

ただ、一度病んでしまえば意外とすんなり辞めることは出来ました。

 

とは言え僕が一つ言いたいのは、「病む前に辞めろ」

この一言に尽きます。

経済的なことを考えると退職後もすぐに働けるように転職先の目処は付けてからの方がいいですが、ただどうしても耐えられないのであれば後先考えずに自分の身を守る道を選ぶ方が得策だと思います。

最悪うつになってしまっては元も子もないからです。

 

会社がどうしても辞めさせてくれないなら、最近流行りの「退職代行サービス」を使うのも手だと思います。

 

とにかく一度きりの人生、自分の気持ちに正直になったもの勝ちです。

会社に搾取されて人生と心身を消耗するのはもったいない。

であれば早く次の仕事を見つけるなり、独立するなり、何か次の一手を講じることで自分の身は守れるんじゃないかと思います。